22年度

大船渡炊き出しにあたって

22年度大館商工会議所

青年部会長 森  誠

本来であれば、年度始めを迎え一年間の思いでやら苦労話などを皆様に挨拶を申し上げるところでしたが、3月11日に発生した東日本大地震による大津波は東北太平洋沿岸部を中心に東北地区・関東地区・長野・新潟に至るまで未曾有の人的・物的被害をもたらしました。さらに追い打ちをかけるかのように福島第一原発の原子炉爆発事故が発生し、未だ災害復旧の目途が立たない状況が続いております。

まずは、このたびの地震により被災された皆様に対して、心よりお見舞いを申し上げるとともに、被災地が一日も早く復興することを心よりお祈り申し上げます。

今回の東日本大震災は世界観測史上4番目に大きいマグニチュード9.0を記録し、巨大な大津波により社会インフラ機能が寸断されたため、被災地においてはあまりに厳しい罹災現場、交通網の途絶、ガソリン不足など障害を乗りえ進めなくてはならない状況下にありました。

そのような中22年度全国商工会議所青年部会長 西尾 基晴氏を陣頭に東北ブロックでは支援物資を被災地へ輸送するため、東北地区に3か所の集積所を立ち上げました。特に福島県会津若松においては東北自動車道の寸断による影響のため、新潟に中継基地を設け輸送する運びとなりました。また、各集積所からは毎日のように支援物資依頼メールが全国の仲間に配信され、大きな震災が全国の多くの仲間の絆を生むとはあまりにも皮肉なものです。この時期はガソリン不足や人手不足など問題が重なり、秋田県連合会においては各単会で判断すべくこととなっため、当単会においては緊急支援物資の協力依頼を全会員に発信し、一旦は行政にお任せすることとなりました。

今度は移送ルートが回復されると炊き出し支援を大館YEG・能代YEG・秋田YEGと共に岩手県大船渡に向かうこととなりました。計画実行までわずか一週間の猶予しかなく、緊急による食材の手配や人的手配など会員並びに多くの企業様の支援により4月3日の出発日までには間に合うことが出来ました。

さて、当日においては竹村副会頭・中田副会頭・和田事務局長にも見送られAM4:30には大館を出発し、23名を乗せたマイクロバス1台・トラック2台は岩手県水沢インターで能代YEG・秋田YEGと合流後に4時間半をかけ目的地の大船渡に入りました。現地では22年度大船渡YEG会長 新沼氏・OBから現地の状況を説明していただき、各単会は各々の会場において炊き出しをすることになりました。

我々が向かった会場はおさかなセンターですが、途中がれきを寄せた道路を通過すると連日報道されていた被災地の様子が目の前に迫ってきました。海岸沿いに続く工場地域やまた商業地域は倒壊し、車は押しつぶされ、通過している道路のそばには押し流された船が横転していて未だかつて見たことのない光景でした。

同じ東北に住みながら難を逃れた秋田県は衣食住の心配はなく被災者を受け入れておりますが、安心して暮らして行けるかどうかは今回の被災地からの教訓を契機に、今後どう対応すべきか取り組む課題が見えてきたと思います。日頃より、危機管理、リスク管理あるいは防災に向けた意識が不可欠になります。

大船渡YEGから提供された炊き出し会場に到着後はすぐにテントの設営が始まり、手際の良いメンバーのおかげで後は被災者を待つばかりとなりました。炊き出し開始時間を知らせるため、メンバー二人と地元消防団の方が消防車で会場近くの避難場所へ巡回していただいた効果もあり、どこから来たのかのようにあっというまに会場には数十人の方々が列を作りました。

「本場大館きりたんぽ」を食べた被災者の方々は、久しぶりの温かい食べ物に大いに満足して頂くことになりました。「ありがとう! ありがとう!」の声を頂きメンバーの誰一人も手を抜くことが無かったかと思います。「よくこんな遠くまで来てくれたね。この恩は一生忘れないよ」被災したにも関わらず我々に対しても気遣いを忘れない一生懸命な姿に、思わず涙が出そうになりました。

また、多くの企業様から提供された支援食品についても飛ぶような勢いで配給されることとなりました。急なお願いにも快く引き受けて頂いた企業様に対して、改めて感謝の念を申し上げます。炊き出し準備から4時間を経過した頃、ようやく救済支援を終えることが出来ました。

海外メデイアが「日本人が秩序を持って冷静に取り組む姿勢に感動した」または「日本は復興力が逞しい。日本は倒れない」という声を取り上げておりました。だが、今回の天災二つと人災一つは、全国の支援と諸外国の援助がなければ、とても乗り越えられません。

今回の被災地における炊き出し支援を経験して、疲れも吹き飛ぶような達成感を得ることができました。しかし、「私にできること何か」改めて考えさせられました。経済が成長し、安定した生活が確保されると、すべてにおいて贅沢と無駄が多くなって来たと思います。

最後になりますが、東北人は逆境に強く、不屈で、根気強いと言われ続けてきましたが、この悲劇を日本再生の契機にし、すべての人々が意識の醸成を持つべきと考えます。